もっと知りたい方のためのQ&A

Q1 なぜ教会に行くの?

聖書によれば、「教会」は「建物」のことではありません。「教会」とはキリストを信じた人々のことです。そしてそれは「神の家族」だと教えています。神の家族と一緒に神を礼拝して過ごすのです。ですからほんとうは「教会に行く」のではなくて、「礼拝に行く」のです。

Q2 なぜ礼拝するの?

「礼拝」とは、神を敬い、神を愛し大切にすることです。言い換えるなら、「神を神とし、自分を人間とする」のが礼拝です。人は自分を神のように、神を自分の従者のように思う性質があります。週が始まる日曜日ごとに、その悪い性質を修正し、人としての正しい生活を歩むために礼拝をします。

Q3 なぜ賛美するの?

「賛美」とは「ほめたたえること」です。神はほめたたえられるべき方です。それで私たちは歌によって、言葉によって、祈りによって神をほめたたえます。伝統的な讃美歌に加え、「ワーシップソング」という現代的な讃美歌も歌われます。

Q4 キリストって誰?

普通「イエス・キリスト」と言います。「イエス」は名前で、「キリスト」は苗字ではなく、「救世主/救い主」と言う意味の称号です。神の子ですが人になりました。それがクリスマスです。私たちと同じ社会を歩み、十字架にかかりました。罪深い私たちに代わって裁かれたのです。それで私たちは、自分の罪からも過去からも救われ、新しい自分になれるのです。

Q5 なぜ説教を聞くの?

「説教」は「小言」や「苦言」ではありません。教会の説教は、聖書の言葉を解き明かすことです。聖書は呪文ではありませんから、その意味を正しく理解して生活に適用する必要があります。そのために聖書の言葉を解き明かします。それが説教です。聖書の教えを宣べることから、「宣教」と言われることもあります。

Q6 なぜお祈りするの?

祈りは神との会話です。会話がコミュニケーションを生みます。神に願いを知っていただき、神の心を知るようになります。祈りは心の呼吸です。呼吸によって新しい空気に包まれ、イキイキできます。そうして神に近く歩み、いつもフレッシュな自分を保つことができます。

Q7 罪って何?

聖書が教える「罪」は「的外れ」のことです。悪い行いだけではありません。私たちはとかく自己中心で、考えや気持ちについても、あるべき本来の状態から外れています。ですから聖書は、全ての人は罪を犯したと教え、「罪びと」と呼びます。罪の結果は不幸でしかありませんが、そこからキリストが救い出します。

Q8 洗礼って何?

洗礼は、キリストを信じた人がキリストと一緒になったことを、形であらわすものです。それは死(絶望)から命(希望)の自分に変わったことを意味します。言葉上のことではなく、実際にそのような毎日になり、過去の自分が新しい自分になるのです。また洗礼を受け、晴れて教会の正式メンバーとなるのです。

Q9 なぜ献金するの?

社会では多くの場合、「献金」とは政治家や政党に資金を提供することを意味しています。しかし教会の献金はそれとは全く意味が違います。また寄付や会費、お布施、賽銭とも違います。それは日ごろから多くの恵みをくださる神に、自分を金銭に重ねて献上することを意味しています。ですから献金も礼拝のひとつの形です。

Q10 なぜ奉仕するの?

聖書はキリストを信じる人を「キリストの体」に例えています。一人一人が体の各部分です。手は手のためではなく、足も足のためではなく、体全体のため、あるいは体の他の部分のために動きます。自分のためだけに動く部分はありません。そこに各部分の存在意味と価値があります。ですから奉仕できることが喜びです。